人間は失敗からしか学べない猿である

失敗だらけの経営者から学ぶ教訓

無償の善意を疑う人達

こんにちは。今日は善意を無償で行うとどうなるかについてお話していこう。

昔、「ご飯を奢る、奢らない論争」というのが巷で話題になっていた。私の中では食事の会計については、下記のルールで行っている

・相手の分を奢れないくらい金銭的に厳しい場合や高額な食事には行かない
・相手にご飯を奢って嫌な気持ちになりそうなら食事には行かない
・相手が年上の男性や奢られることに抵抗を感じる人は奢らずに割り勘か奢ってもらう

このルールでいけば、自分が嫌な思いをすることも、相手に不快感を与えることも少ないと思う。大事なのは、「相手に食事を奢ってでも同じ時間を共有したいかどうか」だと私は思う。

ご飯はこれでいいと思うが、ビジネスの世界となると話は変わってくる。

私は昔からお世話になった会社には無償で動いて助けることをよくしていた。

・誰かが困っていたら、仕事を助ける
・悩みがありそうに見えたら、食事に連れて行って相談に乗る
・経営難に陥った会社でほぼ無償で案件の獲得や会社の立て直しに協力する
・予算が乏しい会社には相場よりもかなり安く仕事を引き受ける

では、その結果どうなったか。
陰で悪口を言われるようになったのだ。

・会社を乗っ取る気なんじゃないだろうか?
・何か裏があって動いているんじゃないか?
・あいつのやり方が気に食わない

私にとっては、今まで仕事を頂いた恩をただ返しているだけに過ぎないのだが、周りから見れば無償で行動を起こしていることは気持ちの悪い行動だったのだろう。中には何を恐れたのか契約を切る会社まで現れた。会社員ではなく独立して仕事をしている私にとって「仕事を頂けること」は「明日も生きていける保証」であり、大変感謝すべきことなのだ。その辺りの価値観のずれもあったのかもしれない。

だから、私は無償で動くことをやめた。
必ず行動には市場水準の対価を要求するようになった。
その方が余計な疑心暗鬼を生まずに済むからである。

このようにビジネスの世界では悲しい事に無償の善意は褒められたものではない。あなたにとって善意の行動であったとしても、相手からは裏があると思われる。だから無償の善意は少なくともビジネスの世界では持つべきではないというのが私の結論だ。無償の善意ではなく、有償の善意によって相手に貢献することを心がけてほしい。お金とは「ありがとうが形になったもの」なのだ。

ちなみに後日談ではあるが、私の契約を切った会社や裏で悪口を言っていた会社のいくつかが数年後に倒産した。逆に契約終了時に感謝の言葉を伝えてくれた会社は今でも元気に活動している。ビジネスの継続に大事なのは感謝の気持ちを大事にすることかもしれないね。

また次回お会いしよう。

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